自分語り三部作これにて終わりです。(関ジャニ∞とモーニング娘。とPerfumeを好きになった経緯はまとめておきたかったもので)
もう少々お付き合いいただければ幸いです。
"男のeighter"や"男のジャニオタ"って珍しいですね!とよく言われ、ジャニオタになった経緯をよく聞かれます。
なので、信五担になった経緯・そして信五担であり続ける理由を書いてみたいと思います。
男のジャニオタさんがジャニオタになった経緯をまとめてるのをあまり見たこと無いので、こういう一例があるんだ…って思っていただければ幸いです。
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話は2004年夏までさかのぼります。そう、関ジャニ∞デビューの夏。
当時中1だった自分は、当時からラジオ>テレビで、自室でAMラジオをよく聞いてました。そこで流れてきたのは、"横山裕・村上信五のレコメン"。
最初は面白いジャニーズも居るもんだなーって聞いていたのですが、相談コーナーでの村上信五のポジティブな思考(ヒナティブとも言う)に惹かれていきました。当時からネガティブな思考だった自分にとって、村上信五の言葉がスッと入って心の支えになっていました。感覚としては"推し"というよりも"尊敬"に近いかもしれません。(一時期兄貴と呼んでた時期もあったし)
そう、自分はレコメン出の信五担。これはかなり珍しい部類に入るそうです。
ここで、自分が信五担からeighterになるのを後押しした要因が2つあります。
1つ目は妹がeighter(錦戸担)で曲を聴かせて貰っていたこと。
元気を貰える系の曲だけではなく、クルマジみたいなアイドル系の曲や、ヘブンリーみたいな曲も歌えるそのギャップにハマって、関ジャニ∞を好きになっていった思い出があります。
2つ目はクラスが全体的にジャニーズが好きだったこと。2004年から2005年の当時、KAT-TUNがごくせんフィーバー、NEWSはバレーボールの応援歌で、当時の勢いは本当に凄いものがありました。
クラスの男子はKAT-TUN推し・クラスの女子はNEWS推し…という構図が出来上がっていて、ジャニオタになる抵抗感が全くありませんでした。
今思い返すと、クラスの8割がジャニオタって凄いよな…。
家族と学校という2つの要因からeighterになっていきました。これが、自分が信五担にeighterになった理由です。
しかし、ここから茶の間期が7年続きます。長野でも関ジャニ∞ライブがあったのですが、部活もあったため行けず…で初参戦は2011年ドームコン@東京。そこからは年イチペースで現場に入っていた感じ。
2014年の就職・上京以降は遠征や多ステするようになった感じです。台湾にも行きました。
ここまで14年間信五担・eighterを続けてこれたのは、関ジャニ∞の楽曲が心の支えとなり、村上信五の生きざまが自分の道標になっているのかな…と思います。だから、追い続けてきたのだと思います。
やっぱり、村上信五は関ジャニ∞は凄いですよ…。色々な夢を叶えて、有言実行してきてますし。
継続的にライブへ行ってると、年々凄みが増していくのが伝わってきます。
そういった尊敬できる部分と、村上信五が、関ジャニ∞が描く未来が本当に楽しみなので、これからも追い続けるんじゃないかな…と思います。
以上で、自分語り三部作終了です。長文駄文で失礼致しました。